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「わざと」音楽をする、とは?

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音楽における「わざと」とは?

先日、私の音楽の先生が出演するイベントを観に行きました。内容としては、イソップ寓話「金の斧」を題材に芝居を行い、その芝居を元にトークセッションを行うというものでした。講演会自体興味深い内容だったのですが、その内容については後日のお楽しみにしておきます。今回はトークセッションで取り上げられたキーワードについてまとめます。

それは「わざと」という言葉についてです。このキーワードは悪人は"わざと"善人に見えるような所作を行う、という文脈で登場しました。その上で音楽における「わざと」とはなにか、という点に焦点が当てられました。

その際、先生はこのように回答なさっていました。

「音楽における"わざと"とは明快。それは、譜面を見ること。譜面を見て演奏する、または覚えた譜面をなぞって演奏することは、それが既に自然体ではない。」

なるほど、確かに私達は楽譜がある以上、それを"再現する"という宿命に囚われています。そして、それは人為的なものに他なりません。

そして先生は続けます。

「そもそも、ギター等の楽器自体が"わざと"とも言える。バイオリンなどはフレットがない分一見自由なように見えるが、音はバイオリンという共鳴箱に制約を受けている。」


音楽は自由ではない

以前、西洋音楽のプレーヤーは12音という制約に縛られているという話を紹介しました。つまり、私達が耳馴染んでいる音楽は、楽器、譜面、メロディーの全てに至るまで制約を受け、そしてその中で遊んでいるに過ぎないということです。これは、一見あたり前のようで、実は意識していない点なのではないかな、と思うわけです。まるで釈迦の手の上で踊っているにすぎない孫悟空を彷彿としませんか。

かと言って「よしわかった、全部の制約をとっぱらって自由な思考で音楽をしよう!ゼロベース思考!フンフン」と短絡的に決断を下してはなりません。なぜなら、楽器や12音などは、長年にわたる先人たちの知恵の結晶であるためです。長年使用されているからには必ずなにかしらの必然性があるはずであり、その必然性を無視することの危うさを十分に認識した上で判断を下すべきでしょう。また、制約があるからこそ個性が生まれる、という点については先程のリンクで述べさせていただいたとおりです。


とはいえ、既存の概念を壊そうとする動きは既にあります。例えば、様々な周波数を組み合わせてオリジナルの音色を創りだす試みなどが挙げられます(テクスチャ)。これらの取り組みが"わざと"をぶっ壊すことに繋がるのでしょうか。

ふと、"わざと"を壊そうとする試み自体が"わざと"ではないかという疑問が浮かびましたが、見なかったことにしましょう。イノベーションは偶発的にしか起こりえないなんて、あまりにも悲しすぎるじゃないですか。


 

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