「睡眠時間なかったわ〜」
昨日僕は大学の研究会に持っていくレポートを仕上げるためにほぼ徹夜をしました。その結果、今日はとても眠いです。先ほどあまりにも眠すぎて図書館の本棚の前で眠りかけました。
さて、私は「寝不足」という言葉を耳にすると必ず思い出す絵があります。それがこちら。
そうです。地獄のミサワさんの絵です。様々なキャラクターが織りなすちょっとイラッとするミサワワールドが全開です。なんとも神経を逆なでします。
ミサワさんの絵が有名になるまで”ちょっとウザい人”に対する名称はありませんでした。しかし、ミサワさんが有名になったことで「ミサワっぽい」という概念が誕生しました。今まで誰もスポットライトを当ててこなかったジャンルに目をつけた、素晴らしい作家さんだと思います。
しかし、この「ミサワっぽい」という単語が誕生したことで思わぬ副産物が生まれてしまったのではないでしょうか。
“名付ける”という行為が生む悲劇
話は変わりますが、小学生の頃、こんないじり(いじめに近いかも)ありませんでしたか?
A「山田の机触っちゃった!山田菌ついちゃったよ!はいタッチ」
B「うわふざけんな、山田菌移すなよ!!!」
山田「……」
全国の山田さんごめんなさい笑
A君が”山田君”という単語と”ばい菌”という単語を組み合わせて”山田菌”というという単語を作り出しました。このことにより、山田君の机、ひいては山田君が汚いという状況を一瞬で作り出してしまいました。”山田菌”という単語が出来たことで山田くんに新たな意味付けをしてしまったのです。
さて話を戻して、”ミサワっぽい”という単語はこの“山田菌”という単語と同等の役割を果たしているのではないでしょうか。
D「昨日徹夜して全然寝てなくてさー」
E「お前ミサワかよw」
という会話があったとします。DとEが親友の関係であったら他愛のない雑談でしょう。しかし、DとEの間柄がそこまで親しくなかったならば、EはDの事を小馬鹿にしているニュアンスが含まれないでしょうか。
“ミサワっぽい”という単語は使い方によっては悪口になり得るのです。
真面目にとらえてしまう人々
僕はミサワさんを誹謗中傷したいわけではありません。斜に構えている彼の作風は僕も大好きです。
ここで問題にしたいのは、“ミサワっぽい”という概念を悪口と受け止め、ミサワっぽくならないようにしようとしている生真面目な人がいるのではないか、という懸念です。
先日、某大手家電量販店の店長が自殺してしまった経緯を追った記事が話題になりました。彼が自殺する前の1ヶ月の残業時間は100時間をゆうに超えていたそうです。相当追い込まれていたことでしょう。
何故彼は相談できなかったのでしょう。それはもしかしたら「ミサワっぽい」と言われたくなかったからかもしれません。
勿論、事実はわかりません!!。お間違いのないように。店長の自殺の原因とミサワさんを関連付けるつもりは毛頭ありません。また、詭弁であることも承知しております。
しかし、このような事が実際に起ってしまう可能性も否定できません。
人の顔色を伺って生きてきた人にとっては「ミサワっぽい」と呼ばれることは耐え難い恥となってしまうことでしょう。コミュニティの「わ」を大事にする日本人にはそういった思考の持ち主が多いのではないでしょうか。
後ろ指さされたっていいじゃないか
マズローの欲求段階説によると、人間の欲求は5段階存在し、①から順番に欲求を満たそうとするそうです。低次のものから順に、
①生理的欲求(食べたい、寝たい、排泄したい etc.)
②安全の欲求(安全な住まい、綺麗な水 etc.)
③所属と愛の欲求(会社、家族etc.)
④承認(尊重)の欲求(自分という存在を認めてほしい)
⑤自己実現の欲求(4つの欲求がここに帰結する)
となります。つまり、「徹夜で頑張った」という承認欲求を満たそうとすることは自然なことなのです。むしろ、承認欲求を満たせないようにしてしまうことこそが不健全な在り方と言えましょう。
最近思うことなのですが、生真面目に生きていても損をするだけです。後ろ指をさされてもいいじゃないですか。自分の欲求を満たしましょう。真面目と生真面目は似て非なるものであると僕は考えています。
「ミサワっぽい」という言葉を言葉通りに捉える必要なないのです。自分の中に貯めこむ必要もないのです。
自戒も込めて次の言葉をもってこの記事を終えたいと思います。
ハクナマタタ(なんとかなるさ)