「言葉」がない物語 – バレエを鑑賞してきた


バレエの発表会を鑑賞してきた

本日、とある御縁でバレエの発表会を鑑賞してきました。ただ、発表会と言っても場所は1,300人以上収容可能な文化会館の大ホールで行われます。お客さんも沢山いらっしゃいました。

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会場5分前というのに、沢山の人…!

僕は「」というジャンルを生で鑑賞するのは初めてだったので、期待を胸に鑑賞してまいりました。

場内は録音撮影一切禁止ということで、残念ながら写真を撮ることは出来ませんでしたが、鑑賞させていただいて感じたことを書き記させていただこうと思います。

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普段縛られている””がない

真っ先に感じたことは、言葉がないことによるメリットとデメリットについてです。ご存知だとは思いますが、バレエの演者は一切の言葉を口にせず、身体の動きだけで自分の感情、言いたいことを表現します。

言葉を発しないということはつまり、観客一人ひとりの感性によって受け取り方が異なってくるということです。

数年前、一ミリも受けたことがない物理の授業にアテレコをしてみた、という動画がネット上で流行りました。

こんな事を言うと怒られそうですが、演者と観客の間では、上の動画と全く同じプロセスが展開されているのです。動きからその登場人物がどういう感情で、どういうセリフを言っているのか。”台本”という形で正解の言葉が定義されていない以上、どの答えも正解になりえます。加えて、言葉に縛られない観客は、自由な発想で劇を楽しむことが出来ます。この点が、演劇やミュージカルと最も異なる醍醐味なのではないかな、と感じました。

その一方で、言葉という枠組みがない故に、パンフレットのあらすじを読んでおかないとかなり間違った方向に物語を定義しかねない、と感じました。今回は早く会場に入ることが出来たのであらすじをじっくり読む時間があったのですんなりと理解することが出来まいしたが、2部(全3部構成)から来た母娘がいまいち理解できていなさそうでした(最初からいろよ、という話ですが)。

全体を通して、いかに私達が言葉の情報に依存しているか、というものを再認識させられたように思います。


 

そもそも、なんで言葉を使わない芸術が生まれたのか、ということをずっと考えていました。観客の想像に委ねるため、踊りに集中するためなど様々なことを考えていましたが、単純にマイクが無い時代には声が届かなかったからですかね…?どなたかご存じの方、教えてください。

ともあれ、非常に楽しかったです。疑問を抱いた点もいくつかあったので、調べてまた記事に出来ればと思います。

 

2 COMMENTS

mokabuu

この記事の着眼点面白いな!

そもそもクラシック(オケ)とかも言葉の無い表現であって、その点ではバレーと音楽って非常に似てるなって思ったわ!僕の解釈としては歌詞は「意図を喋らない音楽の代弁者」なんだけど、そう思うとバレーとかダンスって言葉ではなくって「音楽に踊りの意図を代弁させている」ないしは「踊りで音楽の意図を代弁している」って言う考え方も出来るのかもね!

そもそもこの言葉を使わない表現っていうのが音楽やって行く上で凄く興味深いわ!音楽に絡めた続編記事期待です。笑

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chamenma

コメントありがとう!
「意図を喋らない音楽の代弁者」って考え面白い。裏の裏は表みたいな話だな笑
それだけ言葉が持つ定義の力がすごいってことだよな。
音楽に限らず、表現者が考えることとして、
・表現者の想いを完璧に伝える(再現)
・受容者の想像に任せる(想像・創造)
の2つのバランスをいかにとるかだと思うんだよね。例えば小説の”羅生門”とかだと、老婆の身ぐるみをはいだ下人のその後については一切触れられていなくて、読者の想像に一任されている。もしこれに続編があったら作者の思う「下人の人生」しか存在しないけれど、あえてそこを書かないことで、その後については読者の感性にぶん投げてしまっている。そこに面白さがある。
こういう風に考えてみると、ある種のゆとり、隙間みたいなものがあると受け手側とインタラクティブな関係性を持った表現の可能性があるのかな、なんて感じたりしております!

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