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クラシックは何故敬遠されるのだろう。

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聴かなくても語れるクラシック (日経プレミアシリーズ)
中川 右介
日本経済新聞出版社
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この前、大学のメディアセンターでこんな本を見つけたので読んでみた。まだ読んでいる途中なのだが、クラシックというジャンルの興り、クラシック業界の現在、各曲のプチエピソードなどクラシックという分野を様々な話題で掘り下げており、読み物としてとても興味深い。
「聴かなくても語れる」と書いてあるところからも分かる通り、作者はクラシックというものが一般的にあまり浸透していないと割り切っている。それは冒頭部に顕著だ。最初にいきなり、「クラシックは大衆受けしないし、つまらない。それでも教養としてクラシックを身につけたいと思ったあなたにおすすめです」的な文章が出現するのだ。これには僕も驚いた。
それはクラシックを卑下しすぎなのではないか、などと思ったが、確かにつまらない人にはつまらないのかもしれない。現に僕も、「眠くなる曲」が存在する。

どの本で読んだことだったか忘れてしまったが、クラシックがつまらないと感じるのは「知識がないから」だ、と論じる文章を読んだ。言い換えると、理解しようとしていない、と言うのだ。なにをしているのかわからないのだけれど、これが良い音楽らしいぞ、と思考を止め、ただ聞き流している。だから理解されることがないし、眠くなってしまうというのだ。クラシックを「楽しい」と感じるには、ある程度「音楽の文法」を学んでいないと難しいというのだ。

しかし、そういった認識は、間違ってはいないが若干ずれているのではないかと思う。音楽のいろはを学べば世界が広がるのは間違いない。しかし、わかっていないならわかっていないなりに感じることはあるのではないか。例えば、僕は柔道を知らない。だからといって、柔道の試合をつまらないと感じるかというとそんなことはない。その場の熱、選手たちの気迫、そういったものに面白さを感じる。僕は柔道の達人ではないので、この足払いがよかった、ここで相手の間合いが云々といった、試合を細かく堪能するということはない。しかし、大雑把に「いい試合だった」という感想は抱くのではないだろうか。

ここで争点にするべきは、数ある選択肢の中からクラシックを選択するという意思を持つ人口の少なさではないだろうか。観に行ったら楽しめるだろうが、僕は自発的に柔道を観に行こうと思わない。僕にとって柔道という世界はあまりに違う世界だからである。それと同様、クラシックという世界があるのを知っているが、自発的に観に行こうと思わない人、というのが大多数なのではないか。特に音楽一つとっても、ロック、ポップス、ジャズ、エレクトロ、レゲエというように、様々なジャンルが存在する。その中であえてクラシックを選択しようという人口が少ない事こそが、クラシックが大衆芸術足り得ない理由であろう。

上記で紹介した本にこのような一節があった。「クラシック」という言葉からわかるように、昔のドイツ人たちは、ベートーヴェン、モーツァルト等を古典派と名付け、自分たちこそが音楽の本流であると名乗った。「クラシック」というジャンルの確立は言わばマーケティングであった。それに見事に引っかかったのが、明治維新を終えたばかりの日本であった。「クラシック」こそが音楽のスタンダードであるのだ、と声たかだかに叫び、クラシックは一種の「教養」であり、「常識」であった。それが相対主義が台頭するにつれ、「ベートーヴェン」も「松任谷由実」も同じくらい偉いのだ、という時代が到来する。この主張はベートーヴェン、つまりクラシックが偉いという前提のもとで成立していたものだったが、蓋をあけてみると、ベートーヴェンは興味がないので聴かない、というような、言わばiTunesの曲のバラ売りのような時代が到来してしまった。結果、クラシックというマーケットは次第に縮小していったというのだ。

つまりは、クラシックは常識ではなく、数ある選択肢の一つとなってしまったが故に、人々がクラシックに興味を持つ機会というものが失われてしまった。そのためにクラシック人口が減ってしまったのではないか、というわけだ。

クラシックは何百年も時をこえ、現在でも演奏されていることからも分かる通り、人々に訴えかける力、惹きつける力というものは確実に存在する。しかし、それが映像や演出があるのは当たり前となってしまった現在(このことについても機会を設けて記述していみたい)において、華がないように感じてしまうのも事実である。そんな中で、いかに人々に興味を持ってもらえるか、いかに魅力を伝えられるかの仕掛け作り。これは、自分の演奏技術、表現技術は勿論のこと、一種のマーケティング技法が求められているのだろう。そして、現代に合った形でのクラシックの再構築をするべきなのではないだろうか。その最適解はなにか。現在はまだ答えが出ていないが、これからも模索していきたい命題だ。


追記

読み返したら、「クラシックは眠くなる」という主張に対しての後処理をなにもしてなかったwww
正確には眠くなる曲もある、ということだと思う。そして眠くなる曲は、つまり「理解がないとわからない」曲なのだろう。先ほどの柔道の例で言ったら、膠着状態が続いている柔道の試合はなにも動きがないように見えるので、私はだんだんと飽きてくる。その感覚に近いのではないだろうか。

クラシックで言うなら、

この曲は別にクラシックの事について詳しくなくても「すげえ!」と思うのではないのでしょうか。タイトル「Dies Irae」っすね。

その一方で、

これなんか眠くなるんじゃないですかね。バッハのシンフォニア11番。3声のメロディーで構成されていて、分散和音の下降のあと8度跳躍する主題(これはWikipediaから)で…なんていう曲のポイントを知らないと眠くなってしまう曲だと思うのです。僕も弾いたことがあるってだけで詳しくは知らないんですけどね←←
ちゃんと調べよ。。

こんな風に、一般受けする曲と、一般受けしない曲が存在するからこそ、他ジャンルの中の一つとなってしまった今、余計に人口が減ってしまったのでしょう。というあくまでも推論。根拠はないので小論文だと減点対象な主張w

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