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「美味しいラーメン」は誰が決めるの?

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"美味しいラーメン"の基準

突然ですが、僕はラーメンを食べることが好きです。今日のお昼にもえびしおラーメンを食べてきました。初めてのお店でしたが、満足度の高い昼食でした。

僕は"美味しいラーメン"の判断基準にしているのが、トッピングです。例えば、メンマに変な味付けがなされておらず、かつ柔らかさもちょうどいいと好印象になります。また、今回であれば、白髪葱がとてもシャキシャキとしており、あっさりなスープととても合っていました。麺やスープも勿論なのですが、トッピングなどの細部までこだわりぬいているラーメン屋さんに魅力を感じるのです。


判断項目の数

しかし、これはあくまでも僕から見た美味しいラーメン観であり、普遍的なものではありません。例えば、僕の友人は、美味しいラーメンの基準として、「お店が製麺しているか否か」という点を重視しているそうです。なんでも、お店できちんと製麺していると麺のコシが全く異なってくるのだとか。その話を聞いてから、僕の判断基準に「麺」というファクターが加わりました。逆に言うと、彼に指摘されるまで麺の種類について意識したことがなかったのです。正確には、感じてはいたものの、判断基準として項目化していなかったのです。

このように考えると、人によって「美味しい」の判断項目は様々です。もしラーメンの専門家であれば、使われている出汁の種類、ラーメンに使われている小麦の種類など、より詳細な判断基準があるのでしょう。しかし、素人である僕には、それらを判断する技量はないのです。

 


判断項目と判断基準

また、判断項目は一緒であっても、判断基準も人それぞれ異なります。例えば、「スープの味」という項目があったとしても、その判断基準は「どろっとした家系とんこつ醤油スープがより美味しい」のか、「あっさりした魚介系スープがより美味しい」かは人によって異なります。

ここにきて、「美味しいラーメン」というものの実態は、精度も、嗜好も人によって全く異なるという事実に気付かされるのです。

A「赤坂駅に美味しいラーメン屋があるんだよ!」

B「美味しいラーメン食べたい!今度行こう!」

このような会話は往々にしてありますが、A君とB君の「美味しいラーメン」像は、ディテールの細かさ、好みが全く異なっているのです。そして、その差はお互いがラーメンについての会話を交わさない限り、埋まることはないのです。

 


「自分を信じる」

私は音楽に携わってくる中で、ピアノコンクールで審査されたり、逆に審査員としてアカペラグループを審査したりと、自分や他人の音楽が"判断"される状況に何度も立ち会ってきました。

その時にも、判断項目・判断基準というものが主観的なものでしかない、という事実にとても悩まされました。音楽は、スポーツなどのように得点・ルールが存在しないために、殊更に主観に頼らざるを得なくなってしまいます。

このように書くと、「べらんめえ!音楽は言語化できねえんだよ!心で感じるものなんだよ!」という声が聞こえてきそうです。その意見には私も大いに同意します。しかし、そのような聴き方が許されるのは聴衆である間だけだ、と私は考えています。先ほどのラーメンの話がまさにそうですね。プロのラーメン屋の主人がラーメンを食べました。その感想が「美味しかったー!」だけでは、自分のお店に何も還元されませんよね。「なるほど、かつお節だけでなくさば節も使用しているからこの風味が出せるのか。」などと考え、言語化して自身の知識とする。これこそがプロとしてあるべき姿ではないでしょうか。

少し話がそれてしまいました。先ほどまでずっと判断項目・判断基準という話をしていました。では、我々はどのようにそれらの精度を高めていくべきなのでしょう。判断項目は知っているか否かという単純な図式で項目を増やすことが出来ますが、判断基準は数多くの体験を経ることでしか醸成され得ないものだと思っています。

体験を言語化して知識とする。結局のところ、私達は判断基準が主観的であると知りつつも、数多くの体験をし、その中で判断基準を形成するしかないのです。つまり、判断基準の拠り所は自分自身にしかない、ということです。つまり、自分が決めた判断基準は揺るぎないものである、と自分自身を信じることが最も重要な事なのです。

 

コンクールやオーディションに落ちる事はよくあります。その事実をただ悲しむのではなく、反省をする事が大事であることは皆さんもよくご存知だと思います。その際に、自分が披露した演奏が自分の判断項目・判断基準と照らしあわせてパーフェクトな演奏であったか否かに着目するのです。不完全であれば、その落差を埋めていく作業をすればよいのです。もし完全であった場合、その原因は2つ考えられます。

  1. 判断項目が緻密さを欠いている
  2. 判断基準が異なった

1の場合、あなたはとてもラッキーです。なぜなら、審査員やその道のプロに尋ねれば簡単に項目を増やすことが出来るのですから。フィードバックの存在意義は、判断項目を増やすことにある、と言っても過言ではないでしょう。

2は読んで字のごとく、審査員との相性が良くなかったということです。この場合、審査員の基準と自分の基準、どちらが正しいかを比較検討するのです。この比較検討こそが、先ほどものべた"経験"です。これを繰り返すことでより自分が納得する審査基準を醸成することが出来るのです。そして、比較検討を何度もおこなうという事実が、己の自信に繋がります。先ほども述べましたが、判断基準が主観的なものである以上、その主観に対する信頼を持たねば判断のしようがなくなってしまうのです。

自分の現状をしっかりと分析することで、結果として明日の自信に繋がる。そうありたいものです。


 

ラーメンを食べていた時に感じたことを適当に文字起こししていたら、いつの間にかオーディションでの心構えになっていました。きっと僕自身、就活で自分自身を他者に評価される毎日にうんざりしているのでしょう。笑


 

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